2009年09月15日
MISIA と弁証法
まずはこの記事。
ヘーゲルの弁証法についてだ。
テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼからなる弁証法。何度も書いてるように、科学の分野でも、「光の波動性・粒子性→波動でも粒子でもあるという真実。」と同じ感じだな。
記事を読んでいくと、ヘーゲルの『小論理学』か〜。
でも Amazon とか見ても絶版なんだよな〜。まあでも、簡単に解説した本のほうが安くてしかも読みやすそう。
ちょっと引用すると、
無はこのように直接的なもの、自分自身に等しいものであるから、逆にまた有と同じものである。したがって有ならびに無の真理は両者の統一であり、この統一が成(Werden)である。
「成とは、有と無の統一である」
お〜、なんか奥が深そうなことだ!。まるで禅の思想みたいだ。さらに記事の著者の感動的体験に目を見張る。
またまた引用。
数か月にわたる我が家のドタバタ騒ぎの後にたどり着いた建設現場であるが、その風景は、意外なことに、とても明るいものだった。
季節が冬だったので、単純に、空が青く、雲が少なかった、ということもある。
いっしょに働いていた人たちが、みんな親切で優しかった、ということもある。
しかし、それだけではないと思う。
理由はわからないが、とにかくぼくは、自分が、それまでとは違うどこか、自分が想像もしたことのない土地に立っていることに気づいたのである。
見回せば、風景が一変していた。
それまでぼくの視野の中心にあって展望を妨げていた何かが、すっかり小さくなって、視界の端に退いていた。
そして、視線の先には、寂しいといえば寂しい、しかし「明るく開けている」とも言えそうな空間が、どこまでもどこまでも広がっていた。
なんか理屈では説明できない、生の体験っていうか、そういうのを感じる。きっと経験した人にしかわからない真実なんだろう。
----
弁証法といえばこちら。
ベートーベンの交響曲にも通じる MISIA ライヴの神の構成。これもまさに弁証法そのものだ
。
そしてさらに、地平線の向こう側へ。
まだまだ発売されていない感動の名曲。ライブで聴いてもまだまだうろ覚えだ。唯一、WBSのエンディングでその一部を御拝聴することができる。
「どこまでも行こう、行けるところまで・・・」の
歌詞があったよなー。
またまたさっきの記事から引用。
当時のぼくの理解では「弁証法」とは、単なる三項図式(正・反・合)ではなかった。
展望が見えないとき、先が見えないときに、ぼくたちは「もう限界だ」と思う。破滅の予感に恐怖したり、諦めたりする。
しかし、弁証法は、そんな態度を許さない。
「もう限界だ」と思うのは、その地平の限界に過ぎない。
今、ここにいるときは見えないが、この地平の果て、その限界の先には、必ず新しい別の世界がある。
今、この、どうしようもない「ここ」から、別の、より広い、より高い地平に行くときが必ず来る。
そこへジャンプすれば、今は見えていないものが見えるようになって、こんな問題は解決できるようになる。
新しい発想は、今の延長上ではなく、まったく新しい地平、予想外の新展望の上で生まれてくるのだ。
だから今は、全力で、行けるところまで行け。
そうすれば、この地平の果てで、さらに、次の地平へジャンプできるはずだ!
オオー (屮゜Д゜)屮 !!!
もうコメントは不要だな。
まさにもう、弁証法の核心そのもの!ヘーゲルの哲学までも包含する みーちゃん の深い神の世界!。
本当に発売が待たれるな〜。
ヘーゲルの弁証法についてだ。
テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼからなる弁証法。何度も書いてるように、科学の分野でも、「光の波動性・粒子性→波動でも粒子でもあるという真実。」と同じ感じだな。
記事を読んでいくと、ヘーゲルの『小論理学』か〜。
でも Amazon とか見ても絶版なんだよな〜。まあでも、簡単に解説した本のほうが安くてしかも読みやすそう。
ちょっと引用すると、
無はこのように直接的なもの、自分自身に等しいものであるから、逆にまた有と同じものである。したがって有ならびに無の真理は両者の統一であり、この統一が成(Werden)である。
「成とは、有と無の統一である」
お〜、なんか奥が深そうなことだ!。まるで禅の思想みたいだ。さらに記事の著者の感動的体験に目を見張る。
またまた引用。
数か月にわたる我が家のドタバタ騒ぎの後にたどり着いた建設現場であるが、その風景は、意外なことに、とても明るいものだった。
季節が冬だったので、単純に、空が青く、雲が少なかった、ということもある。
いっしょに働いていた人たちが、みんな親切で優しかった、ということもある。
しかし、それだけではないと思う。
理由はわからないが、とにかくぼくは、自分が、それまでとは違うどこか、自分が想像もしたことのない土地に立っていることに気づいたのである。
見回せば、風景が一変していた。
それまでぼくの視野の中心にあって展望を妨げていた何かが、すっかり小さくなって、視界の端に退いていた。
そして、視線の先には、寂しいといえば寂しい、しかし「明るく開けている」とも言えそうな空間が、どこまでもどこまでも広がっていた。
なんか理屈では説明できない、生の体験っていうか、そういうのを感じる。きっと経験した人にしかわからない真実なんだろう。
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弁証法といえばこちら。
ベートーベンの交響曲にも通じる MISIA ライヴの神の構成。これもまさに弁証法そのものだ
。そしてさらに、地平線の向こう側へ。
まだまだ発売されていない感動の名曲。ライブで聴いてもまだまだうろ覚えだ。唯一、WBSのエンディングでその一部を御拝聴することができる。
「どこまでも行こう、行けるところまで・・・」の
歌詞があったよなー。
またまたさっきの記事から引用。
当時のぼくの理解では「弁証法」とは、単なる三項図式(正・反・合)ではなかった。
展望が見えないとき、先が見えないときに、ぼくたちは「もう限界だ」と思う。破滅の予感に恐怖したり、諦めたりする。
しかし、弁証法は、そんな態度を許さない。
「もう限界だ」と思うのは、その地平の限界に過ぎない。
今、ここにいるときは見えないが、この地平の果て、その限界の先には、必ず新しい別の世界がある。
今、この、どうしようもない「ここ」から、別の、より広い、より高い地平に行くときが必ず来る。
そこへジャンプすれば、今は見えていないものが見えるようになって、こんな問題は解決できるようになる。
新しい発想は、今の延長上ではなく、まったく新しい地平、予想外の新展望の上で生まれてくるのだ。
だから今は、全力で、行けるところまで行け。
そうすれば、この地平の果てで、さらに、次の地平へジャンプできるはずだ!
オオー (屮゜Д゜)屮 !!!
もうコメントは不要だな。
まさにもう、弁証法の核心そのもの!ヘーゲルの哲学までも包含する みーちゃん の深い神の世界!。
本当に発売が待たれるな〜。









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上原ひろみ






